バカにつける薬、それは永遠のテーマ。
この「バカにつける薬」がない理由について思うことを少し書いてみました。
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・そもそもバカの定義とは(゚Д゚ )ナニカ?
一言でバカと言っても、その症状や度合いは千差万別で、誰か一人の基準で相手をバカと決めつけるのは、どこかおかしいような気がします。
また、文化が違えば同じ思考や行動も滑稽に捉えられ、言語の違い等の問題で本来の能力が発揮できないといった、その他の問題が足かせになっていて、単にバカと決めつけられる状況であるとは限らないです。
※そういえば「魔法科高校の劣等生」というラノベアニメの「学校では評価されない項目」というセリフもいい例かもしれませんね
・バカに「つける」薬はない
仮にバカの定義が確立されて薬が開発されたとして、言葉尻を捉えるようですが、頭などに「つける」塗り薬ではないのかもしれません。ひょっとすると、飲み薬や注射点滴やマッサージや精神療法かもしれません。
・ひょっとしたら「アホ」につける薬ならあるかもしれない
バカにつける薬が直接的になかったとしても、例えば商標権や言葉狩りなどの関係で、「アホにつける薬」なら実用化される可能性はあるのかもしれません。あるいは、認知症予防や知的障害の改善用の薬剤として、部分的に実用化している可能性も否めません。
・やはり俺のバカにつける薬はありえない
最終的にバカにつける薬が開発・普及して、全ての人間が薬の力でバカでなくなったとしたら、バカという状態はこの世から消えて、おそらくバカという概念がなくなるはずなので、それに対応した「バカにつける薬」は存在理由がなくなって、結局、「バカにつける薬」がなくなる・・・という状態になるのかもしれません
・技術的には開発可能でも、費用回収が見込めないから販売しないのかもしれない
現実的な問題として、仮に技術的・倫理的な問題をクリアしたとしても、製薬会社は利潤追求のための企業組織であるために、開発・生産・販売にかかったコスト回収の見込みがないと「バカにつける薬」を製造・販売できないのではないか?という問題があります。
結論・・・やっぱりバカにつける薬はない
まあ、バカと天才は紙一重と言うし、画一的な人間を大量生産したところで、世の中つまらなくなるだけなんで、自分としては、このままでもいいんじゃないかと思いました。皆さんはどう思いますか?
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